プラトン哲学は、西洋哲学の思想の源流となります。
プラトン(紀元前427〜紀元前347)は弁証法(問答法)や愛智者(フィロソフィア)としての姿勢をソクラテスに学び、宇宙摂理としての均整や調和を理念とするピタゴラス派の影響を受け、「パイドン」を著しました。副題は「魂の不死」です。
生々流転する物質界の現象は仮象の姿であり、背後にある、永遠不滅の範型である「イデア」が真の実在であるとした哲学、イデア論が記されたのがパイドンです。
かつて魂は天上のイデア界で暮らし、イデアのみを見ていましたが、汚れのため天上界を追放され、肉体の牢獄に閉じ込められたとされます。
ここには旧約聖書の楽園追放に似た、失われた完全性と生の堕落というストーリーが見られますね😇
通常、人の意識はこのイデアを認識出来ず、心を魂の内側に向けた時、イデアは想起されると述べられます。
学び、知ることにより、元々知っていた真理を魂が思い出すことはプシュケーの働きであると説きました。
愛智者は、汚れでありいつか滅びる肉体から出来るだけ魂を分離開放させ、魂の純粋性を保つ努力が重要であるとされました。
「プシュケー」は古代ギリシアで、心、魂を意味し、元々は息、息吹を意味したものです。
時と共にその概念は広範な意味を含むようになり、日本語では生命そのもの、命と訳されることもあります。
感情や知的働きの意味も持つこのプシュケーは、ソクラテスにおいて「知と徳」の座とされ、魂が出来るだけ優れたものとなるよう配慮することが説かれ、「プシュケーを気遣う」という表現をされました。
プラトンはその思想も引き継ぎ、魂は上記のようなイデアを知る主体であり、善く生きるための中心となり、身体より上位の本質的な存在で、善や真理を受け取る主体であると考えました。
弟子アリストテレスは「プシュケー・ペリ」において魂を「人間としての身体の形相」と定義されました。
東洋で言われるところの「気」に通じるようなもので「生」全般の根底にあり、生を生たらしめているものとしての概念がプシュケーとなります。
古代ギリシャの人々にとっては、生かし、身体を動かし、感じ、思考し、夢を見る力等もプシュケーによるものでした。
近代心理学は「意識」を扱う上で「魂」の概念を排除しましたが、ユングはこのプシュケーの古典的意味を復活させ、心理学の限界を超えるためによく用いています。
意識と無意識を統括した心の広さや奥行き、また語りきれないような心全体の相互作用のダイナミズムを心理学として扱い語るために、根源的領域を司り、万物の生に通底する力としての「プシュケー」の概念を必要としたのでしょう😊