応用として

2026年04月07日 15:14

応用として

神聖幾何学なども持ち出してきまして、瞳孔不睨による知覚変化や「空間となる身体」について記しました。

人として受肉し、何故そんな幾何学にならねばならんのですか。居つきたら有っても良いではないですか。頭おかしいんじゃないですか。
そんな思いが有ってもご尤もです。ジンカンの熱や摩擦は楽しいです✨
不在のような私ですが…😶‍🌫️

行って初めて分かること、いかに素晴らしく追求されたメソッドが提供されているかということを身をもって知るのは感動的でもあり、師の探求とご研鑽が結晶した境地、その道程に、深甚なる敬意を抱かずにはおれません🙇‍♀

今日は瞳孔不睨にどのような利があるのかをしつこく探りたく思います😊

①​視線を捨てることで、空間の解像度、察知能力が上がる
②対象を見ないことで、対象と一体化する逆説が起こる

​まず、この2点は武術的にも大変有利です。

練功により、自身が定在波となるのではないかということを以前述べました。
​瞳孔不睨をこの定在波の状態と連動させると、単なる視覚技術を超え、「察知され難い空間支配」の技術へと進化します。

🍀例えば武術的応用として🍀


👺​「予兆」の完全遮断
​対人において、人が動く直前には必ず瞳孔の微細な動きや、焦点を絞る際の外眼筋の緊張が予兆として相手に伝わります。

瞳孔不睨で焦点を無限遠に置くと、こちら側の動きの意図が相手の視線から消えます。
​ 相手は「いつ動いたのか分からない」という感覚に陥ります。情報の出力を特定の点ではなく「空間全体」に拡散させているため、相手の脳がこちらの始動をバグのように見落とします。



👺接触面の消失と浸透
​軸そのものが放射源として振動している時、瞳孔不睨によって「個体としての自他境界」が曖昧になります。
​瞳孔不睨を使い、相手は見ない時。全てを通り越した「無限の先」を観ることで、接触部位に意識的重みが溜まらなくなるため、相手は反発する対象を失います。こちらの振動が相手の体内に抵抗なく伝わる、深い浸透力となり内部から崩すことができます。



👺多人数掛けにおける全体観
​瞳孔不睨は、中心視野(1〜2度)の情報を捨て、周辺視野と「意」による知覚を最大化します。

複数の敵に囲まれた際、一人を見ず、無限を観ることで全方位の動体検知を均一化します。
​物理的な視界を超えて「後ろに誰がいるか」「誰がどのタイミングで動くか」という空間密度の変化を察知できるようになります。このような「情報把握の変容」が可能になります。


👺精神的圧迫(威圧や空虚)
​相手がこちらを凝視、殺気や様々な念をぶつけてきても、こちらは無限を観ているため、それも通り抜けます。

相手からすれば手応えがなく、「底なしの深淵を覗いている」ような違和感や恐怖を感じ、攻撃の決断が鈍ります。こちらが定在波として空間に溶け込んでいるため、相手の攻撃のベクトルが定まらなくなります。


「特定の誰か」を制する技術や在り方ではありません。普段において他を無視し、尊重しないわけでもありません。
自分を定在波として空間に最適化させることで、結果として対人における優位性が副産物として現れるのだと思います😇

そして時々瞳孔不睨を止め、メンチを切り、皆で熱くぶつかり合ってみましょう💪

満開は数日…(T_T)
誰にも大切な今。

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