サカサ🪩

2026年06月08日 23:05

サカサ🪩


仙道は、道教において性命双修と呼ばれる、気功の「氣」(天地万物の構成物)を内丹として養い、性(精神、または神)と命(身体)の功を修める修業法です。

呼吸、意念、周天法により身中に「内丹」を作り出し、臍下丹田で霊薬として錬成し、「陽神」というエネルギー体に変容させていきます。
いずれ不老長寿の仙人となると言われる修業法です。
この「仙道」はその後様々な宗教、思想要素も取り入れられ、「気功体系」となっていきます。
日本においてポピュラー化したのは、高藤聡一郎先生の功績が大きかったことでしょう。


私は特に仙人になりたいわけでもなく、霊能やサイキック能力も欲しくなく、そして必要だったわけでもなく、ただ機縁がありましたが。
そういった能力者さんの人生は、大変なものであることが多いのは踏まえていました。

仙道においては「宗教信仰」などはせず、また奥義である修業をおろそかにして、霊(死者のエネルギー体)の世界に囚われたり、オカルティズムに陥ることは「屍守鬼」と言い、蔑まれます。

禅に於いてもそれらの世界は迷妄とされ、本来至るべき道ではないとされています。

普段私は、「死者の霊」などが具体的にわかるなどはありません。
しかし、それらの領域や働き、またそこでの問題解決能力を発揮される方々も決して蔑まれるようなものではなく、敬しております。

正中心練磨においても、様々「楽しい」「嬉しい」事はあり、「楽」や「悦」が生じることなどもまた、その時点の自身そのままとして、本来の練功とは何であるかを思い出して、たまに律しております🙂



社会のあらゆる分野にまたがる様々な社会学を統一する構想、総合社会学を提唱した社会学者、エミール・デュルケムという方がおられます。「自殺」という個人的現象を、社会的要因としての観点から分類を試みた方です。

デュルケムは宗教とは「聖」と「俗」を分けるものであり、時折俗は聖を活性化する作用を持つと述べました。
犯罪などはその一例です。

仏教においては、法による細かな教理体系の文献アビダルマが残されています。覚醒段階も数多く分類されていますが、こちらは理論としての理解を助け、また、無理せずそのままの自他を認めていく手段としても活用出来ます😊


上下逆さまにして据えても、誰も違和感を感じなさそうなブルース・ウィリスの頭部。

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